どうも葉暮です。
パッと浮かんだアイディアを形にしてみました。
原稿用紙にしておよそ10枚〜11枚の分量です。
朝から構想し文章に起こして一日で脱稿させましたので、かなり荒削りな感じをもたらすかもしれませんが、草稿としてご容赦ください。
テーマは「女の嫉妬」です。
何卒よろしくお願いします。
世の中にこんな天使みたいな人っているんだ──これがわたしの恵美に対する第一印象だった。ファッション雑誌から出てきたみたいな人にそれまで出会ったことのなかったわたしは、まるで人形かなにかを見ている気になったものだった。それがわたしに限らず彼女を見る誰しもが抱くらしい感想だと知ったのは大学に入った頃からだった。
新歓コンパが終わってだらだらと二次会の店へ流れ込んだとき、隣に座る彼女に送る男たちの目線がそれをもの語っていた。彼らはわたしに話しかけながらも視線はわたしを透過して、隣の恵美の動向を追っていたから。男というのはなんて単純なんだろうって、そのときのわたしは呆れてしまったくらいだった。
秋川恵美とわたしはお互いに苗字が『A』で始まり、名前順で呼ばれると前後することから、入学時から近くにいることが多かった。話してみると、わたしはますます彼女に惹かれていた。自分のことを可愛いと知っている女性は大抵言動が鼻についたりするけど、彼女は自分の美しさに戸惑っているといったふうで、それが嘘や演技でないらしいのがわかると、わたしは彼女に親近感を覚えた。それに意外だったが、彼女はわたしとは違い、恋をまだ知らないらしかった。彼女は男をまだ知らない。純白なドレスを見るようで、だからこそわたしは彼女に嫉妬する自分に惨めな思いをせずに済んだことを、心秘かによろこんでいられたのかもしれない。
わたしと彼女は大学内でいつも一緒にいた。男たちの視線は相変わらずわたしを透いていくけど、彼女の注意は常にわたしに集まっていたから、周囲に対して軽い優越感をすら覚えていたのだった。
わたしは前文で「常に」と書いたけど、それを訂正しなければならないときが来るとは当時は思いもしなかった。講義の時間はもちろん、サークルも同じハイキング部に入っていたし(それは恵美が勧誘されたからだった)、休み時間やトイレにすら一緒に行っていたのだから。いま振り返っても少し異常なくらいだと思わないでもないけど、女子の間ではそう珍しいことでもなかったようにも思う。でも一緒にいることが、必ずしも互いを知ることにはならないのだとわたしが悟るようになったのは、関川と太田という二人の男子学生と仲良くなってからのことだった。
大学生同士の男女はすぐに打ち解けた。若葉が陽射しを受けてみずみずしく輝くように、わたしは太田春樹に恋をしていた。彼はお世辞にもかっこいい方ではなかったし、むしろ格好には頓着しないでほぼ毎日同じ服だったし、どこかぼーとしてるというのか、なにを考えているのかわからないような人だった。それでいえば、関川のほうはまるで彼とは正反対だった。某企業の御曹司らしい整った甘いマスクに、服装だっていつも小綺麗だった。いかにも裕福に育ったというお坊ちゃんだから、口は達者でユーモアもあるし、それでいて寛容なものだから女性のワガママだって二つ返事で応じてくれそうだった。きっとほとんどの女性はこういった男性に惹かれるだろうし、実際、大学内でも彼はモテていた。とくに恵美と関川が並んでいるのを見ていると、ありていな表現だけどまさに雑誌から切り抜いてきた画(え)のようで、お似合いだな〜といつも思わされていたものだった。
恵美は関川と一緒になってほしいって、心のどこかですでに願ってしまっていたかもしれない。少なくともわたしの中ではすでに彼らは一組のカップルになっていたのだ。
でも、現実というのはわたしが思っていたより遥かに残酷だった。
それは、サークルの仲間で高尾山を登った帰りでのことだった。
「太田くんって、好きな人いるのかな?」と恵美がぽつんと呟くように言った。そして、私を窺うように見た。わたしは彼女に太田への想いを悟られたのかと思った。
彼女の濃い睫毛に縁取られた大きい目が、火を灯したみたいに黄昏を映していた。
「さあ、どうなんだろうね。あの人、あんまり自分のこと話さないし、よくわかんないし……ってか、え、もしかして恵美?」
わたしはなるべく彼女の友人としての自分を誇示した。いま思えばだいぶわざとらしかったかもしれない。
それとは知らず、彼女は耳まで赤く染めて頷いた。こんな場面を男が見たら、きっと誰しもが惚れてしまうだろうなと思った。わたしは動揺を隠そうと努めていながら、不思議と冷静に彼女の恋心を見つめているのだった。そして、こんなことまで平然と口にしていたのだ。
「わたし、太田に訊いてあげよっか? 好きな人いるの?って」
なんでこんなことを提案してしまったんだろう。わたしはいまだに後悔している。本人に訊いてみたら?って言えなかったのには、やはりそれなりの打算と自信のなさとが自分にあったからだ。わたしは恵美が太田に近づき過ぎることをなにより恐れていた。
恵美は「彩、お願い!」と顔を赤らめて両手を合わせさえした。二十(はたち)になるというのに、まるで少女だった。彼女の懇願を前にわたしはもう引けなくなっていた。
ただ、大学内でのわたしたちは普段(いつも)通りに接し合った。なにごともわたしたちの間にはありませんよとでもいうように──。
翌日、わたしは太田にそれとなく訊いてみた。もちろん、恵美から頼まれたとは言わずに。
なんだよ、いきなりと彼は頭を掻いていたが、
「ああ、いるよ」とこっちの目は見ずに素直に答えた。
わたしは直感した。彼は恵美のことが好きなのだと──。
そのときの会話をどう終えたのか、わたしは憶えていない。ただ逃げるようにその場を去ったかとも思う。
「太田くん、他に(・・・)好きな人いるんだって……」
わたしはなるべく言いづらい風を装って告げた。
「そうなんだ……あ、いや、なんかごめんね。変なこと頼んじゃったね……そうだよね、好きな人いるよね……」
恵美は、自分が責められているみたいに、弱々しく笑っていた。わたしは彼女の目を見るのが恐かった。彼女が笑うたびにわたしの心は針で突かれるようだった。きっと彼女はこのあと泣くだろう。うつくしく泣くだろう。わたしはそんな彼女の姿を想像して、また悔しくなった。
太田が恵美を好きなのだと直感したわたしは、こうして彼女に嘘をついた。
恵美に嘘をついたことで、わたしは太田本人にも嘘を言わなければならなくなった。
ここだけの話なんだけど、と前置きしてから、恵美はどうやら関川のことが好きみたいなんだよね、と言ってみた。彼の表情はとくには動かなかった。友人である関川を彼は尊敬していたし、関川のような優しい男なら、恵美を大事にできそうだな、と言って、それから自分を納得させるように、ただ一言──「そうか」とだけ言って、あとは黙った。内心ではかなり落ち込んでいるのが、わたしにはわかった。沈黙の深さが彼の恵美への思いの深さのようで、わたしはまた悔しい思いが込み上げてくるのだった。
ここで、太田がわたしの言葉など信じずに、恵美に告白していたら──、わたしは彼らについた嘘をただの勘違いで済ませられたのかもしれない。
でも、わたしはもう後戻りするつもりはなかった。わたしは、眩しい光を照り返す彼らの若葉をすべて摘みとりたかった。そして、徹底的に根絶やしにしてやりたかった。
たとえ、二人の恋が叶っていたとしても、わたしは彼らを祝福できなかっただろう。そんなわたしは最低かもしれない。卑怯な人間かもしれない。頭ではわかっている。それでも、どうしようもなかった。わたしという人間が、女性が、胸を突き出していた。
それから恵美は大学に姿を見せなくなった。太田やわたしの手前もあり、居づらかったのかもしれない。後に他の大学に編入したと聞いた。
しばらくしてわたしはなにを思ったのか、ある晩、彼のアパートに行った。
そこで、わたしは彼に抱かれた。彼がわたしの中に入ってくるとき、涙が頬をつたったのをわたしは今でも憶えている。彼は恵美をどこかに思い浮かべて、わたしを抱いている気がした。恵美の代用品になんかなれないのに。それでもなんでも、わたしは彼でいっぱいになりたかったの。
結び合って、もう解(ほど)けなくなればいい。もう他のどんな糸が絡みつく余地もないほどに。きつく、きつく──。
わたしはあのとき確かにこう願っていた。太田の恵美が好きだという気持ちをわたしは自らの全身でもって消そうとしていたのだ。
身体のつながりだけで終わったとしても、わたしは後悔しなかったかもしれない。
情熱は、いつかは冷める。焚き続けておくのは簡単でないのを、わたしは当時の齢(とし)にしてすでに信じている節があった。それはわたしの父が、母とわたしを捨てて他の女のところへ去ったことがずっと尾を引いていたのかもしれない。とにかく、わたしはいまでもどこかで男という生きものを信じてはいないのだろう。
ところが、太田はわたしに飽きるどころかより深く入ってきた。彼はわたしを抱くうちに恵美を遠ざけようとしていて気づけばわたしという女を必要としている自分を見つけたのかもしれなかった。わたしはそれでも彼の目の中に恵美の姿がないか探そうとしてしまう。わたしは彼と結ばれたことをよろこぶべきだったのかもしれない。身体の芯に彼を受け止める瞬間、わたしは恵美を思ってしまう。ここには恵美がいたはずだったかもしれないと──。
恵美の姿を消せないでいるのは、彼ではなく、わたしのほうだった。恵美はいまごろどうしているだろう。しあわせでいるだろうか。
いま隣で太田はすやすやと寝息を立てている。胸の上に日焼けした手をゆるく組んだまま。左手にはわたしとお揃いのリングが真新しく光っている。
いまでも彼はなにも知らない。わたしは彼の胸元でそっとささやいてやりたい。
そうよ、あなた。あなたたちの夢はね、わたしが摘んだのよ、と──。
《完》
二〇二二年八月十八日夜脱稿
いかがでしたでしょうか。
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それではごきげんよ〜
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