葉暮 実(ハグレ ミノル)
文芸ブロガー、ライター・文筆家|大人の発達障害を抱える当事者(ADHDとASDの混合型)|留学を含めロシアに5年近く滞在|引きこもりだった過去あり|ロシア文学や日本文学になれ親しんだことがきっかけで自身でも小説を書くように。創作活動の傍ら1児の父として育児中の身でもある。
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こちもよかったら召し上がれ↓
月の読書量は平均10冊程度。これまで2000作品以上の小説を熟読・読破(←速読はしない)|遅読家で殊に小説に関してはじっくり味わいたいタイプである。気に入った本は何度も繰り返し読む傾向あり。
主に好きな(尊敬する)作家はそれこそ少なくないが、繰り返し読む作家でいうと↓
川端康成
永井荷風
谷崎潤一郎
三島由紀夫
泉鏡花
樋口一葉
夏目漱石
森鴎外
江戸川乱歩
夢野久作
横溝正史
松本清張
坂口安吾
円地文子
瀬戸内寂聴
吉行淳之介
橘外男
渡辺淳一
佐藤泰志
森村誠一
赤川次郎
貴志祐介
阿刀田高
石田衣良
村田沙耶香
田中慎弥
ドストエフスキー
ショーロホフ
オスカーワイルド
他、多数
ざっと挙げてみただけでも、やはり多い・・・
さあ、ここまでが私の大凡の自己紹介となる。
以下に私が文学・小説に興味を持つに至った経緯等を詳述していくこととする。
まずはざっとこれまでの経歴を。
これまでの半生(※以下随時更新・追加予定)
ここに私、葉暮のこれまでの半生を認めておこう。
→神奈川県横浜市で生育す
→幼少期より妄想癖があり、特異な行動で周囲から異端児扱いされる
→留学を機にロシアに5年近く滞在
→帰国後に引きこもりに。この時期に小説を貪るように読む
→その後、旅行会社やIT関連会社などに勤めるもうまくいかず
→結婚し息子を授かる
→発達障害と診断される
→2022年8月より本格的に執筆活動スタート
ざっとこのようになる。私の人生になど興味を持つ者などは多くないだろうから、これくらいでいいだろう。
と思っていたのだが、万が一にも蓼食う虫が今後発生しないとも限らないので、自分の備忘録のためにも次を認めることにしよう。
それに、これから発表する予定の作品中にも幼少期の頃を盛り込もうかとも思われるので。
大変長くなるので、悪しからず。
決して文学少年ではなかった
幼少期で思い出すのは母によく絵本を読み聞かせられたことである。アンデルセンやグリム童話、日本昔話を寝る前などに読んでくれた記憶がある。
中でも新美南吉の「ごんぎつね」は子供心に衝撃で、大人になった現在でも時折手に取るほどに好きだ。
小中学生の頃は外で遊ぶのが好きであったが、図書館という静かな空間が好きでよく通っていたのだが、「はだしのゲン」などの漫画ばかり読んでいた。他に読んでいたのは三国志や水滸伝を初めする歴史小説だったように記憶する。
高校時代はまるで本を読んでいなかったし、大学にいっても人付き合いばかりに忙しかったように思う。
急に読書家に?
腰を据えて本を、それも文学書に向き合うようになったのは二十を過ぎて海外に出てからだ。
ロシア語に興味を持ち、勉強するうちに文学とは切っても切り離せないのを知ったからであったが、ロシア語を学ぶものなら誰しもが通るであろう、プーシキン、トルストイなどの文豪、読んでいるうちにどっぷりとハマってしまったのだ。
留学して原文で少しずつ読めるようになってから衝撃を受けたのは、ドストエフスキーだった。
それからの数年間、私はロシア語とロシア文学にのめり込むことになる。
日本文学の再発見
ロシアに滞在している頃、日本語の活字にとても飢えている自分に気づいた。日本語の本などほとんどなかった当時、日本語センターによく通った。そこには村上春樹や三島由紀夫など、日本を代表するような作家の著作があった。私はそこの本を片端から読んでいった。
私のロシアでの生活は荒んでいた。
気候的なもの影響は大きい。太陽のずっと照っていた涼しい夏はよかったが、逆に冬はまるで地中での生活であった。
いつしか私は酒と女に耽溺するようになっていた。
自堕落な生活といえばいえるが、当時の私は、今思うと躁鬱だったのだろうと思う。
毎夜のようにクラブで踊っては酒を浴びるように飲み(文字通りに浴びていたのだ)、現地の女を抱いていた。
倫理や規則で物事は運ばない。ロシアではとくに。
人間という生物の正体がこれまでも!というくらいに突きつけられた気がして、私は「生きる」ということの儚さとそれが醸す哀切とを知ったように思った。
実際にはその瞬間瞬間をただ快楽的に生きて、味わっていたいような甘い気持ちに浸っていただけなのだが。
ロシアにいた頃のことは私のこれから発表していく小説の根底、小説を書く上での底辺となるものであろうと思われるので、そっくりそのままではないまでも、そちらを読んで想像していただくことにしよう。
帰国後に引きこもり、日本文学を漁読する日々
失恋と挫折が元で、ロシアからいろいろな国を放浪した末に、金が尽きたので帰りたくなかった日本に帰ってきた。それから私は引きこもりになってしまった。
海外にまで出た人間が、日本に帰ってきて「引きこもり」になってしまったとは、笑い話だろうが、当時はそれなりに人生に悩んでいたこともほんとうだ。
なぜ、自分は生きるのか? 自分のようなでき底ないな人間は、この先何に向って生きればいいのか? 自分に何ができるのか?
疑問符ばかりを抱えていながら、それを解決する術をも知らないまま私はただ日々を虚しくしていた。
そんなある日のこと、無聊を慰めるつもりもあって、私は本棚に手を伸ばすようになる。
それが私にとって、日本文学との出会いの一歩となった。
小説の登場人物(とくに主人公)には、自分のように社会とうまく渡り合っていけない、いわゆるダメ人間がたくさんいた。
私の心は慰められるようだった。
それからというもの、小説を通して想像の人物と私は対話するように私はなった。
本を貪り読んでいる時間だけは、私は現実から遠区離れられると思っていたのだろう。これは端から見れば現実逃避でしかない。
だが、それは結果的には鬱的になっていた私を救うことにもなった。
私は、読みたい本を求めて街に出るようになった。
神田や神保町の古本街を歩き回って、出会う本たちは私にまた新たな世界を見せてくれる社会への窓となった。
日本文学の虜に
帰国した当初の私は仕事もせずに(ほぼニート)で、日がな本ばかり読んでいた。
本の中にまるで自分の居場所を見つけた気でいたのかもしれない。
だが、引きこもる時間が長くなればなるほど、外(現実社会)へ出ていくことが恐くなっていた。
このままではいけないと、どこかで思いながら、私は本から顔を上げなかった。
そんな中、ロシアや旧ソ連を扱う旅行会社の求人を見つけて、応募してみた。
語学力を買われて旅行会社に勤めることはできたのだが、仕事ができなかった。
まず電話対応ができない。電話が鳴るとビクッとしてしまい、受話器を取るのがやたらと恐いのだ。
これでは当然仕事にならない。
おまけに仕事が片付いたら構わずに文庫本を広げてしまうような私であったので、サボっていると思われたのだろう。
挙句の果てには上司からのモラハラの対象に。
「お前さ、人生と社会を舐めてんじゃねーのか」
と、言われて逃げるように退職。
それから
旅行会社を辞めてから、私はまた引きこもりそうになっていたが、
当時、私には付き合っている女性がいた(現在の妻である)ので、いつまでもプーというわけにはいかないと思っていた。
ロシア語を使った仕事など多くはないので、なかなか見つからなかった。
そこで、語学力は使えないが、大好きな日本語に関われる仕事ということで、IT関連の会社で校閲業務に携わるように。
だが、これがいけなかった。
文章だけを校閲するなら、好きなことなのでとことんやれるのだが、実際には画像やレイアウトなどチェック項目は多岐に及んだし、何よりそれに付随する業務がたくさんあった。
殊に顧客対応など自分の最も苦手とする業務だった。
それでも私はすぐに放り出すわけにはいかなかった。
私にはもう家族がいた。結婚し子供が生まれたのだ。
勤続して3年近くになっていたが、もう自分の仕事に嫌気が差していた。
商いは「飽きない」ことだという言葉を聞いたことがあるが、それでいうと私は自分の仕事の何から何まで飽き飽きしていたのだった。
そこで私は生まれて初めて、本気で自分と向き合う必要を感じた。
自己理解に関する本を読み漁ってはストレングスファインダーをはじめとする才能診断テストをいくつも受けた。
自己理解はいまでも時折見直すが、これまでの私は自分に何が合っていて、合っていない原因はなんであるのか?ということを深く掘り下げることをしてこなかった。
やはり、「自分」という生体が一番近い謎であったりするのかもしれない。
「己を知れば百戦危うからず」はほんとうなのかもしれないと思うようになった。
自己理解に関する本も紹介できればと思うので、その内容についてはここでは敢えて詳述しない。
自分と向き合う時間を持つようになったことは私にとってとても価値があったとだけ述べるにとどめよう。
人生は誰にとっても一度きりなのだ
人生は誰しも一度しか生きられない(輪廻転生を否定するつもりはない。現世での話である)。これは否定しようのない事実であり、かといって、自分の人生の時間を日頃から意識している人間は、よほど余命について意識せざるを得ない状況にない限りは少ないであろうと思う。
私も勿論例外ではない(ロシアにいた頃は生命の緊張感があったが、帰国してからというもの、すっかり弛緩してしまっていた)。
人生一度きりなら、自分のやりたい事をやって死にたい。たとい今日限りの人生であったとしても、自分がやりたい事にできる範囲で触れながら死にたいと思った。
死生観についてここであれこれ述べるつもりはない。だが、人生はこうしている間にも確実に短くなっている。
どうせなら燃えたい。
私はそう思った。
情熱に自分を燃やして、自分は灰になっても誰かの心に火をつけられる仕事を残したいと思った。
じゃあ、その着火剤は何だろう?
私にはこれまでの経験(大したことではないかもしれないが)と、あとは自分の筆しかなかった。
書くことは嫌いではないし、むしろ好きなのかもしれない。下手の横好き。その程度だけれど。
だから、こうして書いている。
私の前には発表を今か今かと待っている物語がたくさん控えている。
「早く、形にしておくれよ」という声が聞こえる。
だから、早く何とかしてあげたい。
それだけだ。
いや、それだけでもないかもしれない。
とにかく、私はこうして書いている。
誰にも認められないかもしれない。
誰からも見向きもされないかもしれない。
それでも私は書く。
書くことを私から取り上げたら何も残らないくらいに、息が吸えなくなるのではないかというくらいに。
今日も明日も私は書く。
文字の向うにある世界を描きたいから。
その世界にあなたを連れていけたなら、私は幸甚である。
あなたがどう感じるかは、もうあなただけのものなのだから、私にさえ立ち入れない。
私は文字の向うにある世界を作り、紹介するか、もしくは見せてあげることしかできないのだから。
と、まあ、最後の方が少し心の叫びのようになってしまったが、ほんとうのことなのだからご容赦ください。
言葉を扱う者として
私は大学で文学を専攻していたわけでも、文章術をどこで習ったこともないので、さぞや拙い文章を書いていることだろう。
その引け目があってか、文章術の本はよく読んだりする。
とはいえ、私は思う。
結局、文章とは作者の纏う”におい”であり、それはなかなかに消えないのだと。
私は自分が好きでもない香水をつけようとは思わない。たとえ、それが世間的にウケるとしてもだ(どうやら私は天邪鬼ならしい)。
ならば、いっそ自分を匂わせればいいと、ただひたすらに自分が美しいと感じる文章を求めて書いている。
誰との比較など、書いている人間が違うのだからある意味バカらしいというくらいに。
好きなら好きでいい。嫌われるのを恐れていては何も書けなくなってしまうではないか。
こんな心がけなものだから、読む人が読んだなら、きっとお見苦しいこと甚しいだろう。ただただご容赦を願うばかりだ。
この葉暮の書く作物を気に入ってくだされたなら、頭を下げて礼を述べたい。
私はただ、巷に溢れかえった香水で自分の”におい”を偽りたくはないだけだ。
たとい世間で評価される人間になれなかったとしても、自分にだけは嘘をつきたくないのだ。
だが、一応TPOは弁えていたい。
どんな理由があろうと、人を傷つけていいことにはならないのと同様、言葉の使い方にだけは細心の注意を払うことが礼儀だと思っている。
とにかく、私の”におい”を気に入ってくれたなら幸いだ。
三度の飯より好きなこと
皆さんにはお腹が空いたことを忘れてしまうくらいに熱中できることはあるだろうか。
私にとってそれは読書と創作です。とくに創作をしているときは、ADHDの特性でもある過集中も加わって時間という概念がどこかへ飛んでいってしまうことがある。
具体的にいうと、朝8時頃から執筆にのめり込んで、気づいたら夜中だったこともある。15時間以上経っていたことに気づいたときにはさすがに驚いた。インスピレーションが泉のように湧いてきて、覚醒しているものだから疲労感はさのみ感じない。疲労感といっても、嫌なものではなくむしろ爽快な疲労感といったところだろうか。
ただ会社や労働だと15時間など、自分にはとてもとても……、8時間労働ですら、自分には辛いものでしたから(世間的には甘ちゃんなのだ)。
やはり、好きなことだからこそ没頭してしまうのだろう。
没頭できるものが自分にあるって幸せなことだと思う。それでまた他の誰かを幸せにできるきっかけとなれば尚更いいだろうなと、心のどこかでそれを願っている。
(続く)